地球に生きる人間にとってのスピリチュアルとは?
台風21号は猛烈な勢いで
主に西日本を通過していきました。
被害に遭われた方のお見舞いと1日も早い復旧を心よりお祈りいたします。
私はスピリチュアルという世界を知ったのが
建築の仕事をリストラに遭った翌年から始めた
自分はなんのために生まれてきたのか?を探し始めた時からですので
今から18年前でした。
当時、オーラが見えるとか
チャクラを開けるとか
前世がどうとか
そういった世界は
かなりマニアックで
胡散臭い分野の世界でした。
でも精神というものがあると
探求し始めた時から
私は文献や書籍を得ようとしました。
今では本屋さんでも何竿にも並んでいる書棚で埋め尽くされる精神世界の本ですが
当時は紀伊国屋書店でも1〜2段くらいしかなかったのを記憶しています。
自己啓発と精神世界の境があるような
ないような
そんな内容の本か
もしくは、シャーリーマクレーンや、
サネヤ・ロウマンのような
海外のスピリチュアリストの本に傾倒しました。
ですが、どうしても
どうしても
ピンと入ってこない部分があるのです。
それは
光の部分だけを書いている本が多かったということ。
光がすごいもの。
光が素晴らしいもの。
そんな風になるのが嫌で
私は、地に足をつけるつもりもあり
体の本もよく読むようになりました。
2008年?2009年に取材していただいた
Hanako-westで
私は「デイリースピリチュアル」というタイトルで
風水を日常と写真(イメージ)で取り入れるという
特集を組ませていただきました。
私自身、スピリチュアルとは
本の中にあるのでも
仏像の中にあるのでもないと思っています。
ましてや
宗教の中にはないと思っています。
一人一人が神であり
仏であり
宇宙である。
それを受け入れて
それを当たり前にして
それを
日々の生きる糧と知恵にしてこその
精神だと思っています。
精神のことを学ばずに
ましてや
誰か師匠について学ぶわけでもなく
日々淡々と
当たり前のことを
自他共のために生きている人こそが
真のスピリチュアリストだと
私は思っています。
悟っている人が偉いとか
術を使う人が偉いのではなく
己の中にも
そのような部分があり
それを大切な人のために、
己のために
自分が目の前に見える世界のために使って生きている人も
素晴らしいのだということを
常々思っているのです。
宗教(スピリチュアルな世界)に入るのがダメなのでもない。
入って心が救われて
毎日が楽しく生きていられるのなら
それは素晴らしいものなのでしょう。
でも、教えに縛られ
自分を見失い
家庭がうまくいっていない
そんな生き方のために
また宗教(スピリチュアルな世界)に入り込むって
ただの生きていることの
現実逃避になりかねないってことだと
私は思っています。
まあ、現実逃避する今世のテーマだとしたら
それはそれでいいんでしょうけれど(笑)
私はスピリチュアルな世界の
文献の探求はもうやめました。
今は体と毎日にそれを落とし込むための
日々の実践をしています。
大切な人と
目の前の人たちと
楽しくより良い暮らしを営みたい。
そのために自分は何ができるのかだけを
一筋に考えて生きていこうと
改めて思えた
台風一過の朝でした。
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