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セカンドベストではなくファーストベスト

2018年7月14日の蟹座新月。かなり大きなエネルギーが動きました。今回の新月から宇宙のパワフルなエネルギーが2週間後の満月あたりまで続きます。この新月にとても衝撃と喝を宇宙から入れられて正直消えてなくなりたい…くらいのところまで自分を見つめました。私はいろんなことができるタイプでして結構精神バランスを立て直すのもできる方なのですが今回の新月ではもう逃げられないことを宇宙に突きつけられました。 私は、自分の人生においてやれることだけやって来たタイプでした。いわゆる優等生。 案外そつなくできるから。自己満足のためにそして否定や批判を回避するためにできることをそしてうまくできることを選んでやって来ました。 大人になってもその癖は抜けていなくてついついまだどこかで楽な道を選んでいました。 ですが、今回はそのセカンドベストを選ぶ生き方を宇宙は許してくれませんでした。宇宙といってもそれは自分ですが…いつまで同じことをやるつもりだ! 自分で自分を相当どやしつけ喝を入れることになったのです。 本当にやりたかったことをやりきっているのか? やりたいことをなぜやらない?やり抜かないんだ!!いつも軽く交わす自分に自分が嫌氣をさしたのです。それも突然。 新月直前の氣づきからたった2日で早くも逃げモードになっている自分にほとほと飽き飽きしたのです。 いつまでセカンドベストに甘んじているんだ?? 今回の新月はとてもパワフルで強烈なエネルギーが流れています。それはやや力を弱めたとはいえ今度の27日の満月まで続く大変革のパワーなのに。 魂レベルでもう嘘はつく必要がないときに来た。魂レベルで生きていい時が来た。それを肌身に沁みてわかってはいたけれど骨身にまでは沁みていないのでした。この2週間で骨身に沁み込ませるつもりです。 媚びへつらいは一切やめて愛想笑いも一切やめて1ミリも嘘をつかない自分への仲直り。ただひたすらに魂の乗り物が同じ人たちとともにただひたすらに自分を生きる覚悟が痛みとともに決まった日。 私の才能は一つではないと自分を軽んじることをやめた日。

どう生きたいかより、どう在りたいか

まもなく、山羊座満月が起きますね。私は西洋占星術は専門ではありませんので詳しい説明はいたしませんが私にとって、西洋占星術における『月』の捉え方は人生のバイオリズムにはっきりと反映されやすい惑星なのでできる限り把握しております。  今回の満月で感じとり受け取れることは自分を堅実に生きることてなんなんだろう?てことでした。 頑張って認められたくて何かに煽られるような焦燥感で生きてきた若い頃40歳を過ぎるころ自分の生き方に疑問を感じ修正を図り始めた。修正を図るということは何かと比べていたり何かに重きをおくから修正を図るわけで。 このままではいけない。このままでいいはずがない。この焦りだけが自分の中にふつふつとあった。 そのあたりからアセンションという言葉が耳に入りはじめ二極化するとか2012年に大変なことが起きるとかそういう情報が耳に入っていた。 アセンションというものがあるなら私にとって1人で次元上昇する氣にはサラサラなれず愛する人たちがそこにとどまるのなら私は次元上昇などしたくないくらいにまで思うときもあった。 でも、いまでは、all of me.this is me.全ては自分。このままでいい。これが当たり前になったので、次元上昇とかアセンションなどどーでも良くなりました。 次元があると信じている人は次元があるしないと思うひとにはないわけで。アセンションを迎えるためにどう生きる?とか、より良く生きるためにどう生きる? という、まだ来ぬものに目標を定めるのを極力やめるようにした。すると、いまどうありたいかというものに強く深く自分を使いたくなってきた。いま、お腹が減っているから、美味しく食べるためにこうしたい。とかいま、疲れてどうしようもないから、これを止める。とか。いま、いま、いまの連続にフォーカスし続けていたら自ずと一年前にやりたかったことが叶えられていたり知らない間に状況が整っていたりしている。どう生きたいかこれを深く見ることはとても大切だし考えたいことだと思う。でも、毎日それを考えているといまというものを見失う。大切な毎日を彩るものがあるからこそ自分の『生』はある。だから、どう生きたいかを深く見ることができたらもうそれは横に置いてあとは徹底してどう在りたいかを、自分に問い続けていくことのほうが大切なのではないかと思っている。自分に嘘をついていないか?本当に自分はいまそんな自分で在りたいのか?そこにフォーカスしていると頭で自分の人生を決めてきたことが良くわかります。カラダを心を置き去りにしてカラダと心を頭が抑えて生きてきたことがわかり始めると自分がどう在りたいかカラダが声を始めます。

自分の人生に自分で答えを出す数秘

情熱的に、あるがままを体感しながら、愛と笑いに溢れた社会を創造しているありのままイズムの提唱者La Forceです。 みなさんは数秘というものをご存知でしょうか?数字に意味があり数字にエネルギーがありそのエネルギーを生年月日や氏名などから読み解くことができる数秘。1 始まり2 協調3 バランス4 安定5 変化6 平和7 探求8 豊かさ9 まとめ数字の意味やエネルギー流れ(進化)も数字で読み解けるのです。1 種まき2 土の中での成長3 発芽4 茎となる成長5 葉をつける6 花を咲かせる7 実に変わる8 収穫9 熟れ切って土に戻るこんな流れ(進化)は人生や日常においても繰り返されているのです。このようなサイクルを時の流れとして読み解くこともできるのが数秘。La Force流の数秘は少々変わったリーディングです。数秘を単なる数字の意味として捉えるのではなくエネルギーとして捉え全体的に総括して観ることを大切にしているリーディングです。例えとして1 醤油2 人参3 じゃがいも4 砂糖5 お酢数字にこんな意味があったとします(例えばですよ?笑)あなたの生年月日に1 と 2 の要素があったとします。すると一般的には「あなたは醤油と人参でできている人ですね。」という表現になりがちです。ですがLa Forceは醤油と人参だけではなくそこに生年月日の中に少々含まれている数字例えば5があったとして1と2がメインとなる5の含まれた人あなたは和風味の人参ピクルスさんですね。なんて表現になるのです。もし、これが1(醤油)の要素がとても強い(2と5を含む)人だったら人参の醤油漬けさん2(人参)の要素がとても強い(1と5を含む)人だったら和風ドレッシング味の人参サラダさんという表現になるのです。これらはエネルギー(数字の持っている感覚的割合)による表現となっているのですが実はある感覚(体感的感覚)さえつかむことができたら数秘をエネルギーとして扱うことが誰だってできるのです。そのためには数字のエネルギーと体感で仲良くなることが大切。これがLa Force数秘の真骨頂です。その奥義をあますところなく伝えることを決めた夏至の夜。その決めた理由はカリスマがたくさんの人を救う時代は終わりを迎えこれからの時代は一人一人が隠れていた才能を発揮し自分で自分の人生に責任を持つ時代に突入したからです。私1人がわかっていても仕方ないこの数秘のエネルギーリーディングの手法を1人でも多くの人に体得してもらいたいと思ったのです。ですが普通の数秘講座と違いワークが絡んでいます。なので数秘という技法を学びながら自己啓発・自己成長を促しているとてもパワフルで明るい数秘という名を借りた自己開発ツールと言っても過言ではありません。そこまでやらないと数字と単なる意味と形に捉えてエネルギーとして理解しにくいからです。この講座を進めていくうちに自分を深く知るだけではなく大切な人や仲間や友達もリーディングしてあげることができより素敵で多様性のある社会を認めることができることが自然とできるようになるのです。また数秘を通して自己を見つめ認めて、愛することができるためエネルギー(氣)に敏感になり逆境にも準備ができ強くなれます。そうなることで今までは認めることが難しかった他者の個性を認めてかつ愛することができるのです。 そんなLa Forceが新しく再開した特別記念の数秘講座のご案内です。

今やるべき「祈り」とは?

祈りとはなんでしょう?祈るという言葉に縛られると日本人的には祈りを「祈願」と捉えすぎてしまい、●●になりますように。とか●●ができますように。という状態になる。それって、【自分】と【願望】が分離している状態。神・宇宙・大いなるものと一つになっていない状態。そんな祈り方ではいつまでたっても「願いは叶わない」「願いを追い続けなくちゃいけなくなる」願望を持てば期待を持てばそれを追い続けなければならなくなる。追いかけなくない。その状態になりたいためにその願望を捨てたいのに… 私は無性に祈りたい時がある。 自分ではどうしようもないような出来事に遭遇した時…空を仰ぎたくなる。 今回の地震のような大自然の脅威にさらされる時も私は祈りたくなる。 でもその祈りって実はさっき書いた「祈願」じゃない。 「地震が来ませんように。」とか「地震が来ても大きくなりませんように。」というものじゃない。だって、そう祈っている時はそれは「地震が来ると怖い」という波動を出してしまっているから。 怖いという意を乗せて、恐怖を宣言することになる。祈りとは意宣る(宣るとは宣言するという意味と捉えてもいい。)という意味。 でも、怖いものは怖いし嫌なものは嫌でしょ? 例えば、「今月収入が少ないから支払いができそうにない。お願いです。お金をください。」と祈ったとします。それは【お金がない】がないという、恐怖に根源のある意(思い)が宣るものになるんです。  それが果たしてそれを祈りと言えるのかな?と、私は思う。 では真の祈りって??どうやったらいいの?何が祈りなの? 以前私はわからなくなった。困った時ほど祈りたいのに祈り方がわからなかった。じゃ、そんな私が今はどうやって祈っているのか?極論的な言い方をすると祈らなくなったのです。祈りという概念を捨てたのです。 恐怖を波動にして広げない限りはどんな祈りでもいいとは思うのですがあえて祈りというのならばただ、心を穏やかにして神聖な気持ちになるだけ。例えば。地震が起きて自分を含めた人間の平穏を祈る時は私はこうします。地震が起きないで平穏に暮らしている人々の笑顔や自分の笑顔をしっかりと思い浮かべます。そうするとファ〜と胸のあたりが広がる何かが湧いてきます。時には下からファーと上がる感覚になるときもあるし上から染み込むような何かの感覚になるときもあります。でも、それは心地いい感覚なのです。その感覚をしっかりと浸りながらただ、平穏な心で手を合わせるだけ。そこに○○になりませんようにとか○○が起きませんようにという言葉は介在しません。ただ、降りてくる?湧き上がってくる?広がってくるその時に起きる感覚に身を任せているだけです。これが私の祈り方。そんな私が「祈りの根源」を知った反面、祈りましょう。祈ります。という言葉はある意味難しいなと思ってしまうのです。だって、大半の人は『地震がこのまま起きずに地球が平和であるように祈りましょう。』と誰かが呼びかけると一人一人いろんな「祈り方」をするでしょう。 「世界が平和でありますように。」「戦争が起きませんように」「差別がない世界になるように。」「今の平和が続きますように。いろんな意を宣せて…でも、もし今回の地震のようなタイミングに祈るのならばみんなが日々平和に暮らしている今をしっかりと味わいその時に湧いてくるエネルギーをただ受け取りそのエネルギーに浸って体を任せているとなぜか自然に手が合わさり生きていること自体がなぜか「すごい感じ」になるこの感覚の波動を広げる。こんな祈りをしていきたいものです。

全体性の中での自分の命

僕らはみんな生きている生きているから歌うんだ僕らはみんな生きている生きているから悲しいんだ手のひらを太陽に透かしてみれば真っ赤に流れる僕の血潮ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんな生きているんだ友達なんだ 作詞 やなせたかし この歌はみんな知っているのではないでしょうか?でも、この歌を本当だとは思っていないのでないでしょうか? 生きているから喜びも悲しみも生まれる。喜びだけでは生きていけない。だって喜びの裏には悲しみも生まれるから。 光の裏には影があるから。生の裏には死があるから。 どちらもあるから生きている。 そして生きているのは人間だけじゃない。私だけじゃない。あなただけじゃない。ミミズもオケラもアメンボも生きているトンボ、カエル、ミツバチみんな生きている。草・木・花・土・微生物みんな生きている。みんな生きいているから動いているから私もあなたも全ての人間が生きていられる。もし、この地球がなくなったら。私たちの肉体は維持できない。一見必要じゃないようなトンボも、カエルも、ミツバチも地球にとっては必要不可欠な一部。でも。それは人間もそう。 なに1つ欠けていいものはない。これが全体性。   この全体性の中で自分がどう生きるか。これが使命だと私は思っている。  私の使命は、情熱的に、あるがままを体感しながら、愛と笑いに溢れた社会を創造すること。全体性のなかで命をこうして使いたい。 誰1人欠けていい人はいない。花が咲いて(生きて)いるから食物が成り、私たちが食べられる。土が肥えて(生きて)いるから木が育ち(生きて)空気が整う。昆虫や動物が(生きて)いるから土が肥え、花が咲く。 誰1人欠けていい人はいない。 でもそれは私たちが悪人だと思う人だってそう。環境破壊する人間だってそう。表裏が一体のように正義の主張を強くするだけ悪人はそれだけ多く生まれる。 昆虫を食べる鳥は悪人なのか?台風を起す風は悪人なのか? ウサギをハントするライオンは悪人なのか?果たして正義とはなんなのか?  ただ一つ思うことは。 あなたは(私も)全体性のなかで生きてることをもっと自覚しろ!ということ。  隣の国の人がいなくなって奪うものがなくなった時どうやって生きるつもりなのか?と。 

決断…とは

昨日、Facebookライブでタロットオラクルのライブをいたしました。コメント欄に決断したいことを書いていただきタロットカードでみるという、瞬間技のようなものの連続です。  リアルにお会いしたこともない方もおられますが、私はタロットカードと自分を全信頼しているので『どうしてわかるのですか?』 『やっぱり!?』 などというカードがでます。 さて。昨日のタロットライブテーマは決断 でした。決断するのは実は怖さが常に伴うものだからなかなか決断できたい。決断できないから迷いになる。 決めてしまえばいいものを決めないから迷いになるわけで言いかえれば迷いたいから決めないのです。迷っているときはそこをまず『迷っていたい自分』認めることから始める 迷ってもいいのです。決断しなくてもいいのです。 決めなくちゃ。やらなくちゃ。やめなくちゃ。そんな【思い込み】無いですか?そこから始めましょう。 でもやっぱりやめたいやりたい決めたい迷いたくない なら決断しかないのです。決断とは決めて断つこと決めたらどちらかに選択しなくちゃいけません。その選択肢を選んだ先にダメだったらどうしよううまく行かないとどうしよう失敗したらどうしよう元に戻らないとどうしよう などという恐れがうまれているのではないですか? その恐れこそが決断できない【鍵】鍵穴に鍵を入れるにはどの鍵か【ひとつを選ぶ】必要があります。  その選ぶポイントは情熱(パッション)とハラで収まるかどうか。胸がざわざわするのは感情。感情は体調や状況によって変わります。なので判断基準にするとあとで後悔することもあります。条件で決めるのは頭。これはエゴの塊でできている場合がほとんどで、自分の本音や本心を無視してしまう場合が多分にあります。ハラで決める。逆にハラで決まらないのなら、まだやらなくていい。と私は思います。いい意味で、そのままを甘んじて受けておけばいいと思います。どうしてもやらないと(やめないと)いけないときは自然とハラが坐りますから。 ただ、もしかすると、ハラが作られていないカラダ(頭でっかちで、常に本心と裏腹に生きてきた場合に作られるカラダ)はハラで決められない場合もあります。 その場合はカラダに聞いてもわからないので情熱が湧くかどうかを基準にすると良いかもしれません。 情熱とはこみあげてくるもの下から湧き上がるもの。ですから、ハラから湧き上がっているのです。情熱があれば失敗や人目もなんのその!になれるはず。 決断とは難しくないのです。決めるだけ。難しく考えてしまっているのです。だから、悩みたいならとことん悩みましょう!

自分目線を周り目線に。

2010年。父が他界して命の使い方を生き方を本当に考えかのし始めたのですがスピリチュアルカウンセラーとして占い師としてこのまま死ぬのは嫌だという思いがあってもじゃあ、何をしたいの?と自分に問いかけても答えが出たように見えてもまた離れる蛍のように光った!と思ったらまた消えたそんな9年だった。消えたと思っていたのは実は消していたのだ。怖くて前に進みたくなくて私にできっこないというような恐れが見えた光を自分の手で包んで消したのだ。何を恐れていたのか何をしたかったのか9年かけて掘り起こし洗い出しさらけ出してきた。もうここからは自分だけのために命を使うのではなく自分と愛する人のために大切な人のために自分を使うことを決めた。 自分の夢だけではつまらないのだ。これを決めた。だから、絶ったものがある。 それは迷いだ。迷うくらいならやる。やらないという選択肢を取らないようにする。やらずに死なない。やって死ぬ。これを決めた。だからやる。でも、やっぱりどこか怖さもある。うまくいかなかったらどうしよう(周りを巻き込む)思うことを実現できなかったらどうしようまだ、信じきれていない自分の可能性と周りへの可能性。やらないから信じきれないのだ。やる。まずはタネを蒔いている。